糸
- goldeneggshand
- 2011年11月14日
- 読了時間: 3分
今思えば ハンドボールを始めた高校時代に、こんなにハンドボールが好きになるとは思ってもみませんでした(//・_・//)
父はサッカー部出身 母は帰宅部・・・ なぜ私がハンドボールと巡り合えたのか・・・
「 伯父がハンドボールをしていた。 」ただそれだけなのです。だからと言って伯父がハンドボールをしていた姿を見たことはなく、ただ聞いただけ・・・写真で見ただけでした。
今からさかのぼること○○年前の話・・・はじまりはじまり~*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
小学校3年生の春・・・両親の親友結婚式に私たち家族が総出でお呼ばれしたことがありまして・・・
当時私はバレーボールファンでした。 F商業の黄金時代で日本一になったチームの「内海かおり」という選手にあこがれておりました。後に私たちを愛と熱意でハンドボール指導して下さった監督も式に出席していて、その時が監督との「初めての出逢い」でした。私が内海さんのファンであることを話すと、「今度サインもらってあげるよ!」と優しく接してくださったことは今も鮮明に覚えています・・・
数日後、留守にしていた我が家の玄関には内海さんのサイン色紙と小学生チーム(バレーボール)の練習日などが書かれたメモが残されていたのです!!!
それなのに、私はなぜだかバレーの道には進まず、とくにスポ少に入るでもなく、
近所の友達や妹と男勝りな遊び(ザリガニ取りなど)をしたり、空き地で鬼っごっこや缶けりや・・・そんな遊びばかりをして小学生時代を過ごしてしまいました。
中学生で「バスケ部」に入部して~(パッとしない選手でしたが)3年間の部活動は実は夢の始まりだったのかもしれません(^^ゞ
このときスポーツを始めていなければ、「ハンドボール」なんてスポーツをする度胸はなかったと思うからです。
F商業に入学・・・「あっ!!!あの時の優しいおじさん」・・・それが監督との再会でした(*^.^*)
幼少期の思い出に浸ったまま「F商業女子ハンド部入部!!」
ここからが、地獄のような日々のはじまりなのです・・・なんてね(#⌒∇⌒#)ゞ
真夏の炎天下の中での外練習、全身真っ黒に日焼けし短パンと靴下の部分だけは真っ白になる通称「ポッキー焼け」で乙女心は砕け・・・、冬でもライトも何もない外コートにて暗くなるまで練習・・・
今もあるのでしょうか?「蛍光ボール」 闇夜に見えるのはそのボールだけ・・・
ちょっとでもタイミングがずれると顔面に蛍光ボールが直撃!!!痛すぎて号泣(T▽T;)なんてことはまだかわいいものでした(笑)靭帯を切ろうが、鼻の骨を骨折しようが、40℃の熱を出そうが、当たり前のように練習をこなし目標に向かって頑張っていたのです!!!若いって素晴らしい(^o^;)
私のハンドボール人生最大の怪我の思い出と言えば・・・引退をかけた最後の試合で
相手と接触し、そのままコートに顔面から落下し額を床に叩きつけてしまった・・・という惨事ですね
監督覚えてるかな~???なのに「立てよ!!!!!!」という愛の鞭を監督から頂き?
頭の廻りを星がクルクル回っているのを振り払いながら最後まで戦ったのは一生忘れない思い出です。今も残る後遺症・・・時々頸椎が痛む・・・これって、ある意味ムチウチなんですね。
それでも「ハンドボール」が好きで、「 crazy about handball 」なんだから、不思議で魅力的な
スポーツです!!このブログで子供たちがハンド嫌いになったらどうしよう~!!
大丈夫!!ハンドの醍醐味はここを超えたところにあります。必ず伝える!そして伝わるはず!
そんなわたしですがハンドボールの運命の「糸」で結ばれこうしてジュニアチームの指導に携わることができるのはこの上ない喜びなのです。ハンドボールに巡り合える子供たちが一人でも多く、そして
I LOVE HANDBALLを持ち続けてもらえることが私の夢です
がんばるぞ~おぅぅぅぅぅ~('-^*)/
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